たこのビート日記

弐寺とbmsの進捗を書くブログです

アラサーから始めるDTM(えっ?音楽知識なしで作曲!?ばっかお前、俺がついてるだろ!)

作曲を始めました。

 

例によって、今回も鬱になる事ばかり書いているので、そういったことを見たくない人はブラウザバックしましょう。

 

 

 

 

始まりの話

きっかけは色々あるんですが、1番大きなきっかけは知り合いがDJをやるということで行ったクラブイベントですかね。

 

知り合いが出てるところだけ見たら適当に帰ろうと思ってたのですが、気づいたら最後までいました。

 

お酒も合計で8杯くらい飲んでべろべろ。

 

知らない曲ばかりだったのですが、音楽とはまさに音を楽しむ物という事で、知ってる知らないは関係ないんだなと実感しました。

 

特に低音は骨に響く感じ、高音は頭に響く感じで、ファンコットは主に使っている音が低音と高音を両方使っている事がほとんどなので、肌身を通して作曲者の想いが伝わってくるような感じ。

 

もともと自分は歌に対して特別な思い入れがあって、うまい歌とは、みたいな事をよく考えていたのでその答えのようなものを得た気がします。

 

例えば、歌の技術がすごいとしても、飲み会などで盛り上がっている場面で、

  • 技術がある人がしんみりした歌を歌う事
  • 酔った人が音程も外れて歌詞も間違えてと言った状態でも盛り上がる歌を歌う事

状況にもよりますが、どちらが人の心に響くかと言えば自分は後者だと思います。

 

何が言いたいのかと言うと、歌には込める想いがあって、伝えたい人がいて、それを受け取る人がいて、と言った関係が生まれるわけですね。

 

万人向けの広く浅く、多くの人に届くように歌った歌はそれなりに売れるかもしれませんが、この曲が1番好き、と言った後世に語り継がれるくらい心に響く歌にはならないかもしれないと思っています。

 

逆に、特定の人に向けた歌は多くの人には刺さらないかもしれないですが、本当に届けたい人の所に届いたならば、涙を流すくらいに感動する物となる事もあるかもしれません。

 

自分はそういった人の心に響く歌を歌えるようになれたらいいなと思ってはいたのですが、怠惰なので何も努力もせずただ時間が流れるだけでした。

 

そんな時に出会ったのが先ほど話をしたクラブイベントです。

 

もしかしたらジストニアかもしれないという絶望の中、失意に満ちた自分を待っていたのは未知の高揚感。

 

このクラブイベントは、コロナ禍、そしてファンコットという日本ではあまり有名になっていないジャンルを盛り上げようというテーマがあり、それはたとえ今はつらくとも努力が報われる時が来ると信じて、前を向いて努力を続けようといった想いが沸々を湧き上がってきました。

自分の現在の状況を考えれば,本来の伝えたい想いとは少し形が違っていたかもしれませんが、人の心を動かすという点においてはまさに、伝えたい想い、それを受け取る人、と繋がった瞬間なのでした。

 

とある映画で、データの中で生きてきた主人公が「素粒子を掴むような感覚も知っている」と言っていたのに対して、任務の相方が「音楽は骨で聞く」というような事を話していたのを理解できていなかったのが、現実生活での様々な出会いや別れを経て色々な事を理解していく場面があるのですが、自分の場合もまさしく百聞は一見にしかず。このクラブイベントを通して、音楽を骨で聞くという意味を体感したのです。

 

 

そもそも自分はなぜ歌手になりたいと思ったのかと言えば、相手の心に響くような事ができる人になりたいなと考えているのが原点であり、その手段の一つが歌という形であっただけ。

例えばビートマニアでも、プロ同士の手に汗握るような接戦は人の心を動かすに値するでしょうし、長年続けてきた人が、後から始めた人に実力を抜かれてはその人は辞め、と言った中でも努力を続けて、発狂皆伝などの一つの到達点に辿り着くところも自分は心動かされます。

 

自分は昔から皿が苦手で、段位ではサヨナラヘブンで苦戦し、アイワズザワンで苦戦し、FIRE FIREで苦戦し、☆9〜11のハードを埋めていた時も皿が最後に残るような苦手ぶり。

そんな自分が努力をしてサムスク†が出るまでは皿曲全エクハまで行ったのも、自分が初心者だった時からツイッターで繋がっている人には少なからず影響を与える事が出来たんじゃないかと思います。

 

一緒にカラオケに行った人には歌がうまいなんて言われたりしますが、これも最初からうまかったわけではありません。

子供の頃、声変わりの前の時期は親の欲目か声がいいなどと言われてその気になり、将来の夢はアナウンサーなどと書いた物ですが、自分があまり人と関わらない人生であったため、声変わりの時期が中学生〜高校生の初めくらい?と非常に長く、声がキモいなどと言われた日にはとても落ち込んだ物です。(それを言った人は今歌手になって有名になっているというのはなんの皮肉だろう)

 

高校生になってからは新しく出来た友達によくカラオケに誘われましたが、最初は自分の低い声が嫌いで嫌いで仕方なく、歌える歌も少なくて正直苦痛でした。

 

そんな時ふと思い出したんですね。そういえば自分は裏声が出せるなと。

裏声が出せると言っても、歌える音域も知らなければ安定した声の出し方もわからないわけですから、最初は手探りでキーを変え吐く息の量を変え,試行錯誤の末にやっと裏声でまともに歌えるようになったものです。

 

自分にとって、出来ないことを努力して出来るようにするという経験はビートマニアが初めてだと考えていたのですが、今思えば歌を歌うということ自体がその一歩だったのかもしれません。

だからこそ、歌に対して特別な思い入れがあったりするんでしょうね。

 

 

少し話が逸れましたが結局のところ、上辺だけでなく色々な経験を経て、色々な物を積み重ねてきた人こそが、人の心を動かすような何かを成し遂げる事が出来るんじゃないかという事を言いたいのでした。

 

心とは、思い出を積み重ねる事、と作品内で定義したアニメがありましたね。

 

心を込めた物は伝わる。

 

 

今の話

だいぶ脱線してしまったので話を戻します。

 

指がうまく動かない症状が出ている間、悪化しないようビートマニアを控えているのですが、そうすると人生の大半を占めていたものが無くなるわけですから、だいぶ時間ができるわけです。

 

アニメを見たりソシャゲをやったり、それでも心の隙間が埋まることはありません。

 

前述のクラブイベントに行った時,もしかしたら作曲という行為であれば自分が積み重ねてきたものを表現できるかもしれない、とふと思い立ったわけです。

 

 

DJをやっている知り合いに話すとFL Studioを買うといいと言われたので、早速書いました。悩む時間。その間、僅か5分。

 

どんな事でも始めるなら早い方がいいですからね。

 

作曲知識などは全く無く、メジャーとかマイナーって何?と言ったレベルで不安だったのですが、作曲初心者におすすめの動画などを教えてもらいつつ作曲ソフトをいじくり回す日々。

 

適当に心地よくなるように音を並べているだけでも楽しい。

 

職場では有線が流れているので、この曲に使われているコードはなにかな、ドラムはどんなリズムかな、と意識しながら聞くと、繰り返し流れている同じ曲でも全く違った味わいになるのがとても趣深いですね。

 

とはいえ,やはり何もわからない状態から曲を作り始めるのは不可能だったので、耳コピから始めました。

 

流れている音を何度も聞き直して、入れたい音を探し、実際に音を打ち込むまでにとんでもない時間がかかります。

 

1秒、2秒と作るだけで数時間とかかったりしました。

 

 

 

音楽とは音を楽しむと書く物。

 

 

自分は心から音楽が好きだ。

 

 

これからの話

そんなこんなで作曲を始めたのですが、なんだか耳コピも飽きてすぐに辞めてしまいました。

入れたい音が見つからずとりあえずで音を置いていくと、やはり耳が違和感に耐えられないのです。

過度な原曲厨も考えものですね

 

作曲自体、三日坊主ですぐに辞めるような事にならないといいんですけどね。

 

曲について色々調べてコード進行などを聴き比べていくと、あ、このコード進行は好きだな、と思うものがありました。

とりあえずコードを置いて、ドラムを置いて、それっぽくしたものを深夜3時くらいに知り合いに送りつけたのですが、30分くらいで改善したものが送り返されてきて、持つべき物は友だなと思いました。

 

意識

そんなこんなで作曲ソフトをいじくり回しているのですが、やはりと言いますか。手が止まるんですね。

日によってはいざ起動しようとしては思いとどまり、また起動しようと思ってはpcの電源を落とし。

 

色々な音を聞いたり、配置したりするのは確かに楽しい。でも、どこかビートマニアが出来ないから妥協でやっているというような意識が自分を襲うのです。

やるからには真剣にやりたい。でも、今の自分は真剣だろうか。作曲に限らず歌でもなんでも、創作というのはその人の心、意識している物、していない物、その全てが現れる物です。

 

作曲をしている自分。果たして本当にこれが自分にとってしたい事なのか、と自分自身に何度も問いかけ、その度に返ってくる答えは毎回同じです。

今はビートマニアをしていないから時間がある。それはつまり、ビートマニアをしていたら作曲はしていないだろうな、という事。

 

あまりにも不純すぎる。

 

それは音に対して、全てに対して、失礼ではないだろうか。

 

 

一時期、メンタルが破壊されるような出来事があり、歌が歌えなくなった事がありました。

 

歌には全てが篭る。メンタルが壊れている状態では、歌に集中しようとしても、声のどこかしらに意図しないものが現れてしまいます。

 

作曲を始めた今は、始めた瞬間から同じような気持ちになってしまっている状態ですね。

 

自分にとってのビートマニアのように、全てを投げ打ってでも音楽に情熱をかけている人がいる。

たとえそこまでの熱量で無くとも、心から楽しんで音楽に携わっている人がいる。

 

 

自分にとっての作曲とはなんだろう。

 

ビートマニアが出来ない事から逃げて、意識を逸らして、そんなことでどんな曲が作れるのだろうか。

 

悩むくらいなら手を動かした方がいい。

それは頭ではわかっていても、体がそれを拒否します。

 

 

自分にとっての作曲とはなんだろう。

 

何度も問いかけ、その度に出る答えは同じ。

やはり自分は何も成し遂げる事の出来ない人間なのではないだろうか。

考えれば考えるほど、意識は下向きになっていきます。

 

 

自分にとっての作曲とはなんだろう。

 

自分の人生は逃げてばかりだ。人間関係からは逃げ、受験勉強からは逃げ,就活からは逃げ、太鼓の達人からも逃げて始めた弐寺

 

やっと本気になれる事が見つかった矢先に、それを失う恐怖。

 

次は新しく始めた作曲からもまた逃げるのか。

 

人生には逃げたくなることをたくさんあるでしょう。時には逃げる事を悪くはない。でも、逃げた先で出会った人を否定してはいけない。

 

とある漫画に出てくる言葉ですね。

 

作曲を続ける事をやめる事も、そのどちらも強制される事ではなく自由。でも、ここで自分は辞めるべきではないと心ではわかっているのです。

たとえ嫌な意識に苛まれようとも、ここで辞める事こそが、妥協でやっている事の証明になってしまう。それこそが、本気で向き合っている人への侮辱となるのではないか。

 

 

自分の悩んでいる葛藤。それは間違いなく自分だけのもの。他の人が歩んできた人生ではなく、自分が、自分の意思で歩んできた人生。

これは他の人は誰一人として持っていない、誰にも真似する事の出来ない物です。

 

短所が長所でありうる事もあるというのなら、今抱えている思いも、それすらも曲として表現できたなら、それは唯一無二のものになるのではないか。

 

 

そんな妄想をしつつ、そのためにはまず技術を身につけないといけないですね。

 

それなら自分が今、一番最初にするべき事は?

 

それは、作曲ソフトを起動する事。

 

 

こういう大言壮語は吐いても、実現してこそだと思うんですよね。

 

どうせやっても出来ない、そんな事はやってから言いなさい、そうとある作品でも言ってましたからね。

 

自分がこの先どうなるのかはわかりませんが、まずは悩みながらでも先に進みましょう。

 

自分には頼れる知り合いも、支えてくれる人も、周りにいるのですから。

 

 

それではまた。