遂に初めての…
こんにちは!
曲が完成しました!
クオリティはともかく完成させるのが大事なので。
作曲裏話的な
曲の完成までにだいぶ紆余曲折ありました。
まずは耳コピしてみよう!が終わらなかったり、動画に沿って作ってみよう!が途中で動画の更新が無くなってたり。
今回できた曲も最初に掲げたテーマは
- コード進行をとりあえず置いて、その上にメロディやら何やら色々なものを足していく
- ピアノの音が好きだからピアノメインで作る
という事だったのですが、いつの間にかピアノはサビでは後ろで鳴る音になってました。なんで??
そもそも作り初めからこの曲ってそもそもジャンルはなんだろうと不思議に思いつつ作っていて、なんとなくUKハードコアだと思っていたのですが、他の人にトランスと言われてからはその後の展開とかが結構トランスっぽくなりました。
名は体を表すと言いますが、表面的な意識というのは深層意識と繋がっているわけですね(?)
まあこの曲を作る前に息抜きでふざけた曲を何曲か作ったりしてたので厳密に言えば初めての曲ではないんですが。
でも、ふざけて作った曲がきっかけで作曲をやっている人のディスコードサーバーに呼んでもらえたり、一見意味のないようなことでも結果に繋がっていることはありがたい限りです。
この曲に込めた思いは自分自身の人生についてなので、他の人が作るような人を楽しませる、人に寄り添う、と言ったものではないですから、聞いた人がどう思うのかは全く想像がつきません。
ちなみに曲に込めた思いというか、どういった意図で作ったかはいちいち説明するのは小っ恥ずかしいので割愛しますが、大体は作曲を始めた回の記事の内容とほぼ同じです。
未来の部分については新しく考えたんですが、伝わるといいな。
さて、少し事情がありますので、曲の公開までは少々お待ち下さい。
それではまた。
題材1、エモい感じのドラムンベース
こんにちは!
前置き
知り合いにエモい感じのドラムンベース作ってって言われたんですが、ドラムンベースはあんまり触れてこなかったジャンルなので、作るとするとまずはいろんな曲を聴き込んで特徴とかを知らないといけないですね。
それはさておき、音楽を学ぶならまずは歴史から、という話を聞いたのでドラムンベースの歴史についてちょっと調べてみました。
ドラムンベースの前身にあたるのはジャングル、というジャンルで、当時のロックやテクノ、レゲエといったいろんなジャンルを混ぜ合わせたものらしいですね。ヒンドゥースターニー語で荒地という意味から来ているみたいです。
また、ジャングルというと熱帯雨林の色々な生物が住む雑多なところから、色々なジャンルの曲が混ざったもの、という命名はまさに名は体を表すという事で面白いです。
このジャングルというジャンル、DJがターンテーブルの回転数を間違えてしまったところから始まっているらしく、新しいものの発展は常に奇想天外なところから生まれるという事も学べました。
ジャングルの生まれた経緯は調べれば出てきたのですが、肝心のドラムンベースの生まれた経緯は調べても出てこないですね。
ゆったりとした曲調ばかりの中から生まれたハイテンポのジャンル、そしてその中から特にドラムとベースの部分に着目した人がいた、という事でしょうか。
ベースなんかは低い音で曲全体を支える柱。本来は主役として出てくるものではないけれど、なくてはならない存在。そんなベースを愛し、なんとか表立たせたいという情熱を持った人が数多くいたのでしょう。
世の中、光の当たる存在ばかりではないけれど、例え裏方であっても必ず必要としてくれる人がいる。
もうエモいですね。
ドラムについては言わずもがな。リズムの芯ですから、表立たせたいベース、そしてドラムの2本の軸があればいいという事を、ジャングルという雑多なジャンルが混ざり合う存在によって気付かせてくれた、ドラムンベースの発祥はそんなところではないかと想像しました。
一つのところにこだわる。ここでも出てきましたね。もしかして本質?
そうすると、ジャンル名はドラムンベースじゃなくてベースアンドドラムになるのでは?
いや、表立たせてくれる舞台があったとしても主役をドラムに譲るその謙虚さがいいんでしょうか。
このあたりは全て妄想で真相は知らないので、間違っていても責めないで下さい。
長くなりましたが、ここまでが前置きでした。
本題
背景を作るために
ドラムンベースの成り立ちについて考えたところで、どうやって背景を作っていくか考えていこうと思います。
安直ですが、やはりドラムンベースが生まれる事となったジャングルの意味、荒野というところと、意外なところから生まれた、というところを活かしていくのが自然ですかね。
それでは、早速考えていきましょう
背景を作る
第1章、始まり
舞台は未来、多くの戦争があり、文明のほとんどが失われ、あとは滅びを待つのみ。
そんな荒野を一人の男が歩いていく。
彼には希望があった。
彼の希望、それこそが、音楽。
幼少期、周りの人は皆、絶望に打ちひしがれ、彼もその例外ではなかった。
ただ命がそこにあるのみで、生きているとは決して言うことは出来ない。
そんなある日、彼は出会ったのだ。
行商人である一人の男の目には光があった。
希望があった。
生きる意志があった。
その男はいつも通り物を売ろうとするがあまり買う人はいない。
それもそうだ、何かを買うと言うのはそれも一つの意志。
生きる意志を失っている人々には何かを買う意志さえもほとんどないのだ。
その様子を見て行商人の男はある物体を取り出した。
男が奏でる音色に、周りの人間たちは驚き、そして涙した。
よくはわからないが、この音を聴いていると生きる活力が湧いてくるのだ。
彼も周囲の人と同じように、行商人の男が奏でる音色に感化され、初めて聞く音色が心に刻まれ、そして一つの目標を立てた。
ぼくも行商人の男のような、人に生きる希望を与えられる人になりたい。
幼少期のこの経験が、彼のこれからの人生を変えたのだ。
彼はその強い想いを胸に、旅を始めた。
第二章、出会い
彼は希望を胸に、荒野を一人進む。
しかし、うまくいかない事ばかりだ。
人に希望を与える、なんて言葉、思うのは簡単だが、実際にはとても難しい。
幼少期に出会った行商人の事は断片的にしか覚えていないが、その男が音色を奏でた物体、あれがなんなのかもわからないし、自分には同じようなものもない。
だけど、あの感動を人に伝えたい。
その想いだけが彼を動かした。
いつものように荒野を進むと、荒れ果てた一つの廃墟を見つけた。
彼はなにか掘り出し物はないか探す。
すると、いくつかの物体がセットになったものを見つけた。
これはなんだろう。
ふと近くに置いてあった棒で物体を叩いてみた。
なぜそうしたかはわからないが、何か大きな意志のようなものが彼をそうさせた。
するとどうだろう。その物体から出る音は彼の身体に、骨に、魂に響くような感じがする。
これはまさか!
彼は直感した。
行商人の持っていたものとは形も大きさも全く違うが、本来の目的は同じものだと。
そう、これが彼とドラムの出会いである。
とりあえず叩いてみる。
音が出る。
とりあえず複数回叩いてみる。
これはいい感じだ。
彼はもちろん演奏方法などわからない。
試行錯誤を繰り返し、心地よいリズムがある事を見つける。
そして彼はこの物体を、心を楽しませるための物、という意味合いを込めて、
楽器、そう名づけた。
彼は手にした楽器と共に、旅を続ける。
第三章、歩み
彼は楽器を演奏しながら各地を転々としていた。
拙いながらも彼の奏でる音に、みな驚き目を見開いた。決して彼が与えられたような強い希望ではない。
しかし、凝り固まった絶望という思想に一石を投じる事は間違いない。
そして想いは伝播する。
彼の演奏が与える影響は小さくとも、人が生きるきっかけとなるのだ。
いつものように彼が集落を訪れると、また別の物体を手にする男と出会う。
その男が持っているものもまた、楽器。
彼の持つもの、行商人が持っていたもののどちらとも違うが、この身体の芯に響く音は間違いない。
これがベースを持つ男との出会いだ。
男に話を聞いてみると彼は驚いた、
この男も、幼少期に行商人との出会いを果たしていたのだ。
同じ運命を持つものは引かれ合う。
ドラムを持つ彼とベースを持つ男、そのどちらも行商人に感化されて旅を始め、そして楽器を手にしたのだ。
意気投合した彼と男と彼は2人で同時に音を奏でてみる。
するとどうだろう。
個々の楽器でも響く音が見事に調和され、さらに心地よいものとなった。
これは1人で旅を続けるよりも、2人の方が多くの感動を与えられるな。
彼と男は同じことを思い、そしてドラムンベースが世界に再誕した。
第四章、巡り合い、そして。
今日も彼らは荒野を爆走する。
一握りの希望を広め、多くの人が穏やかな生活を過ごせる世界に辿り着くため。
彼らの旅路には多くの出会いと別れがあった。
いくつもの集落を訪れ、そして演奏し、人々に希望の種を植え付け去っていく。
その姿はまさに、彼らが幼少期に憧れていた行商人な姿そのものだ。
旅を続ける道中、彼らとはまた違った楽器を持つ人とも出会う、そしてその人もまた、同じように行商人との過去を持つ人だ。
時には共演し、時には1人での演奏を聴き、彼らは旅を続ける。
そして旅路の果てに彼らは再び出会う。
遠くより聞こえてくるこの音色。
近づくにつれ音も鮮明になってくる。
あの後ろ姿は間違いない。
そう、彼らが幼少期に出会った行商人だ。
しかしなぜだろう。昔聴いた音色とはどこか違う気がする。
彼らに行商人は怪我をしたと言った。
以前のような美しい演奏はもう出来ない。
だが、胸の内に秘めた思いは変わることなく、その心を込めた演奏は人を良い方向へと変えていく。
彼らは行商人と共演した。
その音色はどこか歪で、そして切なく、それでも魂は伝わる。
演奏を終えると行商人が突然倒れる。
ざわつく空気。
心配した彼らも行商人のそばへと駆け寄る。
行商人は怪我をしていたわけではない。
病気だったのだ。
荒廃した世界でまともな治療が受けられるわけもなく、終わりゆく命の中でも希望を失わず演奏を続ける。
次第に衰えていく演奏技術。
彼らと出会った時にはすでに死期を迎え、それでも限界を超えて活動を続けていた。
技術ではなくその姿勢、その魂こそが人の心を打ったのだ。
行商人は成長した彼らの姿を見て安心した。
自分の残した音は、この終わりゆく世界の中でも希望を残し、人を前に向かせる事が出来たのだと。
そして、自分の跡を継ぐ人もできた。もう思い残す事はない。
彼らは涙し、そして決意を新たにする。
この世界がどうなっていくのかはわからない。
しかし自分達は自分達にできる事をするだけだ。
確かな想いを胸に、彼らは再び旅を続ける。
人の心に響く音を世界に残しながら。
後書き
え?なんでこんなに長くなったんですか?
そもそもこんな話をたかだか2分〜4分という短い時間の中に込めるんですか?
そもそも曲作りすらまともに出来ないのにいきなりハードルが高すぎるのでは。
この曲できるのが1年後になるか2年後になるか、はたまた作られる事はないのかはわかりませんが、どちらにしてもまあ題材作りという練習にはなったと思うのでよしとしましょう。
それではまた。
曲の背景を作る
こんにちは!
ふと思い立ったのでメモしておきます。
心を込めた作品、なんて言葉はよく耳にしますが、そもそもここで言う心とはなんでしょうか。
前回の記事でとことんまでこだわる事、なんて事を書いた気がしますが、ここでいう心とはなにを伝えたいかによって変わると思うんですね。
例えば、
心が震え上がるような熱い曲を作りたい、みたいな感じなら誰が誰を、どこで、どれくらい、みたいな事を考えるのがいいんでしょうか。
ラブソングなんかはわかりやすいですね。恋をしている人向け、なんていうのはかなり範囲が広いです。
もっと絞っていくなら学生の甘い恋、なら対象は学生になります。
たった一人だけを歌った歌、だったら対象は1人まで絞られるので、好き嫌いは極端に分かれそうですね。
曲を聞いて風景が思い浮かぶような曲を作るなら、時代背景はいつなのか、そこにどんな人がいてなにをしているのか、みたいな。
あれ?結局どんな曲でも設定はつけた方がいいんでしょうか。
楽曲制作のための技術はもちろん大事だと思いますが、技術だけあっても芯がなければ心に響くものがない、というのは歌を歌ってる人を見るとわかります。
この人は確かにうまいんだけど味がないな、とか、音程はよく外れるし声量もバラバラだけど花がある、とか。
この差こそが心の有無かと思いますね。
中にはあえて感情を込めないで歌う、みたいな歌い方をする人もいるんですが、そこには感情を込めないで歌う事で曲に対する先入観を植え付けない、後に歌う人の事も考えている、という想いがありますね。
そこにも確かなこだわりがあります。
自分はまだ技術もなにもないですけど、心に響く曲を作れるようになりたい、という目標がある以上、この芯の部分はいつになっても忘れないようにしたいなと思います。
という話でした。
どんな感じで背景を作っていくのがいいか次からメモしていきたいと思います。
それではまた。
曲という一つの人生。
こんにちは!
創作とは
世の中の作曲者達はどのような事を考えて作曲をしているんでしょうか。
自分はまだ作曲なんていう言葉を使うのもおこがましいほどの初心者なので全然わからないのですが、わからないなりにこうなんじゃないか、と考えるところがあります。
前書き
自分が思うに大きく分けると、
- 自己追求型
- 理想追求型
- 想像型
この三つに分類されるのではないかと思いますね。
これは曲に限らず、絵や彫刻、小説、他色々な創作においても同じなんじゃないかと思っています。
絵
例えば絵、人物画にしても風景画にしても、自らの心の内を表した作品は伝えたい思いは自らの心、そして伝えたい相手は具体的に存在しないわけですから、大部分の人はその人の絵を見てもあまり理解は出来ないかもしれない、でも分かる人には分かる、そういった作品になるでしょうね。極まったものになると、素人から見ると落書きにしか見えないのに、分かる人からすると数億もしたりするような作品がいい例です。
理想を追求する作品は、例えば美しさを題材にした場合は人の美しさとは、風景の美しさとは、そう言ったところに観点が置かれているので、多くの人は理由はわからないけど、この絵は美しい、そう感じるのではないかと思います。なぜなら、伝えたい思いが美しさ、と言う一点に収束されているからです。
絵で想像型というのはちょっと難しいですが、空想の生き物、空想の世界などでしょうか。これも理想追求の観点も入っているので、結局のところどの型を取ってもその一点のみに収束している人というのはあまりいないでしょうね。だからこそ極まっている作品は、世の中にその名を残すような作品となる。
本
本の自己追求型は分かりやすいですね。これは自伝など、その人の生き様を書いた物で、読めば一人分の人生を体験できるので、時間がある人はたくさん読んだ方が多くの人生経験を積めるのでいいと思います。
理想追求型は本だとあまり思い浮かばないですが、勉学やスポーツなど、上達に関する本なんかはこの型に当たるんじゃないかと思います。自分はこういった事は避けてきた人生なのでここの経験値はほぼありません。
本の想像型は分かりやすいですね。ライトノベルなどの空想世界の本はここに当たります。中には作者がこういう世界、こういう人生を送りたい、みたいな物が透けて見える作品があったりするので、やはり本にしても全ての型、それ単体で本を書いている人はほとんどいないんじゃないかと思います。
曲
この三つの型を曲で例えるとどうなるでしょうか。
自己追求型は自分は今こんな気持ちだよ、こんな人生を送ってきたよ、そう訴えかける曲などですね。これは弐寺にもこの型で作曲をしている人がいて、大好きという人と大嫌いという人で両極端なので面白い。ちなみに自分は好きです。
たった数分の中に自分の全てを込める、それがいかに難しいか。たとえ多くの人に嫌われようとも、自らを曲げずに貫き通すさまは、まさにロマンです。今のところ自分はこの型で作曲できたらいいなと思ってますが、そのためにも他の型も出来ないといけないですね。
小説一冊一冊が作者一人の人生であるように、曲もまた作曲者の人生。
理想追求型の作曲は、自分が思うかっこいい音、あるいはこうありたい、こうなりたい、そういった主張がある曲で、Twitterを見ると変態だったりする人はこのタイプが多いんじゃないかと勝手に思っています。例えば、100億円欲しい!みたいな気持ちは誰だって持っているもので、同じようにかっこいいを追求した音なんかは他の人にとっての理想でもあったりするので、多くの人から好かれる事が多いんじゃないでしょうか。
曲でいう想像型はゲーム音楽などでしょうか。例えば、新しく訪れた街のBGM一つとっても、主人公達がどんな旅をしてきて、どんな思いでその街に辿り着いたのか、背景が変われば曲もガラッと変わります。そうした意味でも、この型で曲を作るならどういった事をどこまで想定するか、というのはかなり大事だと思います。
この想定のところがしっかりしている曲は、ゲーム、あるいはアニメなどでも、印象に残りやすい物が多いでしょう。印象に残る、というのは言い換えれば、心を込めた作品、その想いが伝わったという事ですね。
感動的な場面において曲を聴いただけでも情緒が溢れ出し、涙がこぼれてしまう、そんな経験をした事がある人も少なくないはず。
ちなみに自分はこの間とある映画を見に行って、あまりの感動に涙が止まりませんでした。
総論
結局のところ何が言いたいのかというと、作曲において大事なのは芯だと思うのです。
かっこいい曲、オシャレな曲、そういったものを作るならとことんまでこだわるべきだし、自らの心の内を表す曲を作るなら、何度でも自分と対話して、自己を理解する。BGMやボス戦など、そういった曲ならどこまで想定するか。
そしてどの型にしてもそれ単体では存在が難しいので、理想とする型を主軸としたいとしても、他の型での作り方もできるようにしておけば、作曲の幅も広がるんじゃないかって事ですね。
どこを主軸として、どの型をどれくらい入れるか、といったところに作曲者の個性が出るんじゃないかと思います。面白い。
声優を目指している知り合いが課題で、ドラマチックな体験をする、という物があったらしいです。声優とは声を当てる事でまさしく命を吹き込む人。表現するのは自己でもなく理想でもなく、キャラクター自身ですから、想像型の極みですね。
さまざまな体験をして、さまざまな想定を深く掘り下げていく事が、演技の幅、深みを生むことになるのでしょう。
これからの話
いくらモチベがあっても、仕事がある以上いつも作曲ソフトをいじるというわけにもいきません。そうすると、空いた時間にできる事と言えば、曲のつくりについて勉強するか、こういう事を考えるかくらいしかないですね。仕事中は流石に、ずっとグーグルを開いて仕事と関係ない事を調べるなんて事は出来ないので、こんな事ばかり考えてしまいます。
もっと時間が欲しい。
それではまた。
アラサーから始めるDTM(えっ?音楽知識なしで作曲!?ばっかお前、俺がついてるだろ!)
作曲を始めました。
例によって、今回も鬱になる事ばかり書いているので、そういったことを見たくない人はブラウザバックしましょう。
始まりの話
きっかけは色々あるんですが、1番大きなきっかけは知り合いがDJをやるということで行ったクラブイベントですかね。
知り合いが出てるところだけ見たら適当に帰ろうと思ってたのですが、気づいたら最後までいました。
お酒も合計で8杯くらい飲んでべろべろ。
知らない曲ばかりだったのですが、音楽とはまさに音を楽しむ物という事で、知ってる知らないは関係ないんだなと実感しました。
特に低音は骨に響く感じ、高音は頭に響く感じで、ファンコットは主に使っている音が低音と高音を両方使っている事がほとんどなので、肌身を通して作曲者の想いが伝わってくるような感じ。
もともと自分は歌に対して特別な思い入れがあって、うまい歌とは、みたいな事をよく考えていたのでその答えのようなものを得た気がします。
例えば、歌の技術がすごいとしても、飲み会などで盛り上がっている場面で、
- 技術がある人がしんみりした歌を歌う事
- 酔った人が音程も外れて歌詞も間違えてと言った状態でも盛り上がる歌を歌う事
状況にもよりますが、どちらが人の心に響くかと言えば自分は後者だと思います。
何が言いたいのかと言うと、歌には込める想いがあって、伝えたい人がいて、それを受け取る人がいて、と言った関係が生まれるわけですね。
万人向けの広く浅く、多くの人に届くように歌った歌はそれなりに売れるかもしれませんが、この曲が1番好き、と言った後世に語り継がれるくらい心に響く歌にはならないかもしれないと思っています。
逆に、特定の人に向けた歌は多くの人には刺さらないかもしれないですが、本当に届けたい人の所に届いたならば、涙を流すくらいに感動する物となる事もあるかもしれません。
自分はそういった人の心に響く歌を歌えるようになれたらいいなと思ってはいたのですが、怠惰なので何も努力もせずただ時間が流れるだけでした。
そんな時に出会ったのが先ほど話をしたクラブイベントです。
もしかしたらジストニアかもしれないという絶望の中、失意に満ちた自分を待っていたのは未知の高揚感。
このクラブイベントは、コロナ禍、そしてファンコットという日本ではあまり有名になっていないジャンルを盛り上げようというテーマがあり、それはたとえ今はつらくとも努力が報われる時が来ると信じて、前を向いて努力を続けようといった想いが沸々を湧き上がってきました。
自分の現在の状況を考えれば,本来の伝えたい想いとは少し形が違っていたかもしれませんが、人の心を動かすという点においてはまさに、伝えたい想い、それを受け取る人、と繋がった瞬間なのでした。
とある映画で、データの中で生きてきた主人公が「素粒子を掴むような感覚も知っている」と言っていたのに対して、任務の相方が「音楽は骨で聞く」というような事を話していたのを理解できていなかったのが、現実生活での様々な出会いや別れを経て色々な事を理解していく場面があるのですが、自分の場合もまさしく百聞は一見にしかず。このクラブイベントを通して、音楽を骨で聞くという意味を体感したのです。
そもそも自分はなぜ歌手になりたいと思ったのかと言えば、相手の心に響くような事ができる人になりたいなと考えているのが原点であり、その手段の一つが歌という形であっただけ。
例えばビートマニアでも、プロ同士の手に汗握るような接戦は人の心を動かすに値するでしょうし、長年続けてきた人が、後から始めた人に実力を抜かれてはその人は辞め、と言った中でも努力を続けて、発狂皆伝などの一つの到達点に辿り着くところも自分は心動かされます。
自分は昔から皿が苦手で、段位ではサヨナラヘブンで苦戦し、アイワズザワンで苦戦し、FIRE FIREで苦戦し、☆9〜11のハードを埋めていた時も皿が最後に残るような苦手ぶり。
そんな自分が努力をしてサムスク†が出るまでは皿曲全エクハまで行ったのも、自分が初心者だった時からツイッターで繋がっている人には少なからず影響を与える事が出来たんじゃないかと思います。
一緒にカラオケに行った人には歌がうまいなんて言われたりしますが、これも最初からうまかったわけではありません。
子供の頃、声変わりの前の時期は親の欲目か声がいいなどと言われてその気になり、将来の夢はアナウンサーなどと書いた物ですが、自分があまり人と関わらない人生であったため、声変わりの時期が中学生〜高校生の初めくらい?と非常に長く、声がキモいなどと言われた日にはとても落ち込んだ物です。(それを言った人は今歌手になって有名になっているというのはなんの皮肉だろう)
高校生になってからは新しく出来た友達によくカラオケに誘われましたが、最初は自分の低い声が嫌いで嫌いで仕方なく、歌える歌も少なくて正直苦痛でした。
そんな時ふと思い出したんですね。そういえば自分は裏声が出せるなと。
裏声が出せると言っても、歌える音域も知らなければ安定した声の出し方もわからないわけですから、最初は手探りでキーを変え吐く息の量を変え,試行錯誤の末にやっと裏声でまともに歌えるようになったものです。
自分にとって、出来ないことを努力して出来るようにするという経験はビートマニアが初めてだと考えていたのですが、今思えば歌を歌うということ自体がその一歩だったのかもしれません。
だからこそ、歌に対して特別な思い入れがあったりするんでしょうね。
少し話が逸れましたが結局のところ、上辺だけでなく色々な経験を経て、色々な物を積み重ねてきた人こそが、人の心を動かすような何かを成し遂げる事が出来るんじゃないかという事を言いたいのでした。
心とは、思い出を積み重ねる事、と作品内で定義したアニメがありましたね。
心を込めた物は伝わる。
今の話
だいぶ脱線してしまったので話を戻します。
指がうまく動かない症状が出ている間、悪化しないようビートマニアを控えているのですが、そうすると人生の大半を占めていたものが無くなるわけですから、だいぶ時間ができるわけです。
アニメを見たりソシャゲをやったり、それでも心の隙間が埋まることはありません。
前述のクラブイベントに行った時,もしかしたら作曲という行為であれば自分が積み重ねてきたものを表現できるかもしれない、とふと思い立ったわけです。
DJをやっている知り合いに話すとFL Studioを買うといいと言われたので、早速書いました。悩む時間。その間、僅か5分。
どんな事でも始めるなら早い方がいいですからね。
作曲知識などは全く無く、メジャーとかマイナーって何?と言ったレベルで不安だったのですが、作曲初心者におすすめの動画などを教えてもらいつつ作曲ソフトをいじくり回す日々。
適当に心地よくなるように音を並べているだけでも楽しい。
職場では有線が流れているので、この曲に使われているコードはなにかな、ドラムはどんなリズムかな、と意識しながら聞くと、繰り返し流れている同じ曲でも全く違った味わいになるのがとても趣深いですね。
とはいえ,やはり何もわからない状態から曲を作り始めるのは不可能だったので、耳コピから始めました。
流れている音を何度も聞き直して、入れたい音を探し、実際に音を打ち込むまでにとんでもない時間がかかります。
1秒、2秒と作るだけで数時間とかかったりしました。
音楽とは音を楽しむと書く物。
自分は心から音楽が好きだ。
これからの話
そんなこんなで作曲を始めたのですが、なんだか耳コピも飽きてすぐに辞めてしまいました。
入れたい音が見つからずとりあえずで音を置いていくと、やはり耳が違和感に耐えられないのです。
過度な原曲厨も考えものですね
作曲自体、三日坊主ですぐに辞めるような事にならないといいんですけどね。
曲について色々調べてコード進行などを聴き比べていくと、あ、このコード進行は好きだな、と思うものがありました。
とりあえずコードを置いて、ドラムを置いて、それっぽくしたものを深夜3時くらいに知り合いに送りつけたのですが、30分くらいで改善したものが送り返されてきて、持つべき物は友だなと思いました。
意識
そんなこんなで作曲ソフトをいじくり回しているのですが、やはりと言いますか。手が止まるんですね。
日によってはいざ起動しようとしては思いとどまり、また起動しようと思ってはpcの電源を落とし。
色々な音を聞いたり、配置したりするのは確かに楽しい。でも、どこかビートマニアが出来ないから妥協でやっているというような意識が自分を襲うのです。
やるからには真剣にやりたい。でも、今の自分は真剣だろうか。作曲に限らず歌でもなんでも、創作というのはその人の心、意識している物、していない物、その全てが現れる物です。
作曲をしている自分。果たして本当にこれが自分にとってしたい事なのか、と自分自身に何度も問いかけ、その度に返ってくる答えは毎回同じです。
今はビートマニアをしていないから時間がある。それはつまり、ビートマニアをしていたら作曲はしていないだろうな、という事。
あまりにも不純すぎる。
それは音に対して、全てに対して、失礼ではないだろうか。
一時期、メンタルが破壊されるような出来事があり、歌が歌えなくなった事がありました。
歌には全てが篭る。メンタルが壊れている状態では、歌に集中しようとしても、声のどこかしらに意図しないものが現れてしまいます。
作曲を始めた今は、始めた瞬間から同じような気持ちになってしまっている状態ですね。
自分にとってのビートマニアのように、全てを投げ打ってでも音楽に情熱をかけている人がいる。
たとえそこまでの熱量で無くとも、心から楽しんで音楽に携わっている人がいる。
自分にとっての作曲とはなんだろう。
ビートマニアが出来ない事から逃げて、意識を逸らして、そんなことでどんな曲が作れるのだろうか。
悩むくらいなら手を動かした方がいい。
それは頭ではわかっていても、体がそれを拒否します。
自分にとっての作曲とはなんだろう。
何度も問いかけ、その度に出る答えは同じ。
やはり自分は何も成し遂げる事の出来ない人間なのではないだろうか。
考えれば考えるほど、意識は下向きになっていきます。
自分にとっての作曲とはなんだろう。
自分の人生は逃げてばかりだ。人間関係からは逃げ、受験勉強からは逃げ,就活からは逃げ、太鼓の達人からも逃げて始めた弐寺。
やっと本気になれる事が見つかった矢先に、それを失う恐怖。
次は新しく始めた作曲からもまた逃げるのか。
人生には逃げたくなることをたくさんあるでしょう。時には逃げる事を悪くはない。でも、逃げた先で出会った人を否定してはいけない。
とある漫画に出てくる言葉ですね。
作曲を続ける事をやめる事も、そのどちらも強制される事ではなく自由。でも、ここで自分は辞めるべきではないと心ではわかっているのです。
たとえ嫌な意識に苛まれようとも、ここで辞める事こそが、妥協でやっている事の証明になってしまう。それこそが、本気で向き合っている人への侮辱となるのではないか。
自分の悩んでいる葛藤。それは間違いなく自分だけのもの。他の人が歩んできた人生ではなく、自分が、自分の意思で歩んできた人生。
これは他の人は誰一人として持っていない、誰にも真似する事の出来ない物です。
短所が長所でありうる事もあるというのなら、今抱えている思いも、それすらも曲として表現できたなら、それは唯一無二のものになるのではないか。
そんな妄想をしつつ、そのためにはまず技術を身につけないといけないですね。
それなら自分が今、一番最初にするべき事は?
それは、作曲ソフトを起動する事。
こういう大言壮語は吐いても、実現してこそだと思うんですよね。
どうせやっても出来ない、そんな事はやってから言いなさい、そうとある作品でも言ってましたからね。
自分がこの先どうなるのかはわかりませんが、まずは悩みながらでも先に進みましょう。
自分には頼れる知り合いも、支えてくれる人も、周りにいるのですから。
それではまた。
最近の話。
お久しぶりです。
最近の話と経過、そして愚痴を書いていきます。
愚痴を聞きたくない人はブラウザバック推奨です。
最近になる前の話
あまり記事を書かなくなってから色々ありました。
ブルーライトカットの眼鏡を買ってからbms中の症状が緩和されたので、休みの日は仕事終わりにゲーセン、起きてからbmsといったルーチンでコツコツとスコア力、地力を伸ばしていました。
たまに帰ってきたらすぐに寝て深夜ゲーセンに行ったりしてましたが、やはり寝た後の方が調子は良かったですね。(当たり前)
しかし仕事中の症状については悪化するばかり。病院に行って検査をしても異常はなくただ高い検査費用を払っただけ。脳の検査とか血液の遺伝子検査をして数か月で8万くらいかかりました。高い。
いつ倒れてもおかしくないんじゃないかという状態でも、検査しても異常はないという事で、心療内科などに行った方がよかったのかもしれないですが、なかなか勇気がいりますよね。
そんなこんなで前の仕事を辞めました。
夜勤の仕事から昼の仕事、そして勤務時間も12時間から10時間に短くなった事で、体調不良も大部分がよくなり、主な症状は体の火照りくらいになりました。
昼の仕事に変わってからというもの、前は休みの日が弐寺→睡眠→bmsという形だったのが、bms→睡眠→弐寺→bmsとなり、練習時間が伸びた事もあって地力の伸びは夜勤の時より早くなった気がしました。
やはりプレイできる環境作りは大事ですね。
☆12の鳥の数も前々作は50ほど、前作は80ほどに対して、今作で235。
かなり伸びていていい感じでした。
新しいランプがついたりスコアが伸びるのが楽しく、仕事の日も朝起きて仕事、終わったらbmsをして寝るだけの他の全てを犠牲にしてでもプレイできる時間を確保して、まさに人生をかけてる感じがしましたね。
上限地力はしばらくbmsを放置してしまっていた事もあり大分落ちてしまっていましたが、やっていればそのうち地力も戻り、さらにその先、発狂皆伝まで行きたいなと思っていました。
最近になる話
異変は突然訪れました。
あれはポルックス杯というツイッターで見かけた大会に参加したある日の事。
課題曲は
- 煉獄のエルフェリア
- Ⅸ
- Almagest
- 真 地獄超特急 -HELL or HELL-
この4曲。
自分が配置されたグループDは強い人ぞろいで特に一人、地力が突出して高い人がいました。
エルフェリアとアルマゲに関しては始まる前からほぼ1位が決まっているので、自分が優勝するにはヘルヘルかⅨで1位を取り、他の曲で2位を取り、なおかつ地力の高い人が2位を取らないという厳しい条件だったのですが、幸い地力の高い人は皿が苦手という事で可能性はありました。
エルフェリアもアルマゲも再エクハですらpフリーが必要な安定感のなさ。しかし神がかり的な噛み合い方でいいBPが出て、あとはヘルヘルのⅨを詰めれば優勝の目も見えてきた所までやってきました。
こういった大会で優勝するような機会はおそらく今後二度とないだろうなと思い、今までにないくらいの気合の入りようで残り2曲を詰め始めました。
ヘルヘルに関してはBP30くらいからのスタート。改めて座学をしてゲーセン開店凸から数時間ずっとやり続けたりしましたね。
プレイ回数もクイックリトライで回数があまり加算されない状況で、とりあえずスコアをつけただけの1回からスタートし、大会終了時点で3桁になっていたので、多分500~くらいはやったんじゃないでしょうか。
結果から言うと自分は優勝しました。ヘルヘルも無事フルコンして、やりきった感はありましたね。
異変が起こったのは大会期間中最後の休日、4月16日。ここでフルコンしないともう次はないという状況。
ヘルヘルはずっと正規譜面でやっていたのですが、ある瞬間から突然開幕の二重トリルが繋がらなくなりました。
その時は癖がついたんだなと軽く考え、正規鏡が出来ないならとR乱で粘着を続ける事で無事にフルコンをする事が出来ました。
しかし、大会も終わり今まで通りbmsを始めると違和感に気づきます。
13絡みがなんか押しにくいし、親指がずっと震えている状態になっているなと。
きっとヘルヘルのフルコン狙いの時についた癖が悪さをしてるのかと思い、癖がついた時の癖の抜き方を思い出して、ゆっくりと大げさに、正しい動きをすることで癖抜きを始めました。
その甲斐あってか多少押しづらさは残っても、頑張れば問題はない程度になったので、その時は大きく気にすることはありませんでした。その押しづらさもやっているうちに治るだろうと。
その日を境にbmsの調子の悪い日が増えました。
最近の話
やはり押しづらさがある状態でイージー特攻レベルの曲をやるのは大変です。指の不調がない状態でクリアできない曲が、押しづらさを感じる状態でクリアできるはずがないのです。
弐寺ではエクハ粘着などは出来ずとも、スコア狙いであれば多少押しづらかろうが無理やり押せばいいので鳥は増えましたが、ミスをまき散らしつつ鳥をだすなんてクリアラーだった自分からすれば考えられないですね。
黒沢ダリアなど、今まではエクハでも死ぬことはほぼなかったのに、鳥を出した時は確かBP30くらい出ていて複雑でした。押せればもっと伸びるのに。
明日にはよくなる。そう信じて毎日のようにプレイを続けるうちに指の違和感は大きくなり、スランプかなと考えて台の高さを変えたり、ハイスピを変えたりしました。
そうするとその日だけはうまく動くようになるのですが、次の日以降は違和感が出る状態に逆戻り。
ガチ押しだけは新規ランプがついたりしましたが、ガチ押しの場合は指をほぼ動かしていないからでしょうか。
しばらくした後、なぜ指に違和感があるのか、その原因を考えて元を直そうと考えました。出来ない曲や譜面も、出来ない理由を考えてどうしたらいいのか考えるのは大事ですからね。
bmsをプレイ中、指に違和感が増えてきたタイミングで指を止め手元を見てみると、不自然に薬指と小指が外側に反っていました。よく見ると手首の角度もおかしいし中指もいつも以上に曲がっている気がしましたね。
親指の震えが止まらない件とこの症状、この時点で嫌なワードが頭に浮かんだのですが、そうではないと信じて忘れました。
薬指と小指が反ってしまうせいで指に違和感が出るなら、反らないように固定してみよう、という事である時7鍵盤を薬指から小指に矯正しようとした際に行った、割り箸を手から指にかけて固定して動かなくする方法を試しました。
結論から言うと、この方法はダメですね。
固定する力を強くするとうっ血してプレイに支障が出るし、弱くすると固定している輪ゴムより強い力で曲がろうとするので意味がありませんでした。
試行錯誤をしつつもbmsや弐寺は続けていましたが、弐寺でも指の違和感の問題が強く出てきました。
今までは13が押しづらい感じに認識していたのですが、偏った譜面をやった感じ、13よりも23が押しづらい印象が強かったですね。
例えばお米タル。自分は自己べでは鳥が出ていて、今までは23トリルはどちらかといえば得意だったのですが、違和感を覚え始めてからは明らかに動かしづらくなっていて、アリーナでやった際は23トリルが降ってきて鳥マイナスすら出ないありさま。
改めて指の違和感について向き合ってみると、どうやら人差し指の打鍵をしようすると、途中で止まっているような感じなんですね。それを手首の角度を変えたりして無理やり押そうとしている状態。それはもう簡単な譜面こそできても高難度が出来るわけがありません。
頭に浮かんだ嫌なワードを思い出さないようにしつつも原因を考え、まず思いついたのは疲労です。
仕事を変え、プレイ環境が変わってからという物、打鍵量は大幅に増えましたからね。疲れがたまっているから指を動かしづらくなっている可能性を考え、とりあえず1週間打鍵をするのをやめようと。
まあ案の定効果はありませんでした。
それならばと前々から行ってみたかった整体ケアルラさんに行ってみようと考えました。
音ゲーマー専用コースなどもあり、もし疲労が原因であるならばこういったところに行けばしっかり疲れも取れて、指の違和感も消えるはず。
ここでもダメでした。指の違和感は消えず、相変わらずうまく打鍵が出来ない状態。整体ケアルラさん。せっかく行ったのに感想ツイートもできずすみません。
この時点で自分の希望はほぼ打ち砕かれました。これは噂に聞くジストニアではないか。
まさか自分がそうなってしまうとは。
フォーカルジストニアというピアニストなどの音楽家がなる病気があるのですが、弐寺をやっている人の中でもこの病気になったという人は調べると出てきますし、あるトップランカーの人もなっているらしいですね。
この病気、今の時点で明確な治療法はないそうです。
まだ病院に行って診断されたわけではないので確定はしていませんが、もし病院に行ってジストニアだと診断されたとしても、治療法がないのでは意味がないですし、自分はこの病気になってしまったんだという精神的な不可から悪化する事もあるという情報を見ると、ここで病院に行くのは最善策とは言えない気がします。
ここまで頑張ってきてこんな結果に終わる。周りの人は頑張っているのに自分は努力する事すら許されない。こんな事あるだろうか。あんまりですよ。
そもそも自分はスイッチはD2MVしかできなくてVXは合わないのに、D2MVは終売。
ホームにしていたゲーセンは軽い台がなくなり、ゲーセンまでの時間が30分から1時間半に。
そこにこの追い打ち。耐えられるわけがない。
今は難しい曲は出来なくて簡単な曲は出来るとしても、このまま続けていけばその簡単な曲すらできなくなっていく事は明白。
8年続けてきた、いままでの人生でやっと見つけた本気になれる事だったのに。
これからの話
色々書いてきましたが、そもそも手の震え自体は以前からあったので、今出ている親指の震え、そして打鍵の違和感。まだジストニアではないと信じる事にしました。まだ診断されてないですからね。プラシーボ効果。
もし以前からあった体調不良が自律神経系の問題であったなら、この親指の震えも大会期間中にかかったストレスから来た自律神経の乱れとも考えられますね。
それならばと次は鍼治療に行きました。
整体に行った時よりも体がリラックスしていて疲れもとれている気がしてすごいですね。
相変わらず指の震えは止まらないですが、鍼治療は一回だけでなく続ける事が大事という事で、鍼灸院の通院プランなどを相談しつつ1週間ほど間を置いて3回行ってみました。
今の所打鍵の違和感の改善の兆しは見えないですが、果たしてここからどうなるでしょうね。
弐寺やbmsを始めてから2~3年で発狂皆伝になる人もいる中、たとえ伸びが悪くとも努力を続けて、発狂十段から2年?といった長い時間をかけて発狂皆伝をとっている人を見ると、こうありたい。もっと頑張りたい。自分はそう希望が出てきます。
30過ぎてから発狂皆伝をとっている人自体、自分が知っている中で二人しかいないというのに、もしこんなハンデを抱えている状態でなれたらいろいろな人の希望になれるかと思います。発狂皆伝。取りたいですね。
夢を諦めたくない。
それではまた。
サムライスクランブル座学2日目
こんにちは!
久しぶりの記事になりました。色々あったのですが、それはおいておきます。
難しい皿曲が出て、初日は未難、ぎりぎりイージーで終わってしまいました。
自分はもともと覚えてない皿は出来ないので、覚えてからやります。
という事でやっていきましょう。まだ未難なのでまずはハードからですけど、未エクハにはしたくないのでエクハまでやります。
14-20小節
タカタカタタカタタタタ!ッタッタッタ、タカタカタカタタタ!タカタカタタッタ
タッタカタカタッタッタ タカ、タカタタカタ(6枚っぽく)ッタッタカ タカタカタッタ
タカタッタッタ、タカタッタッタ、タカタカタカタカタカタカ!ッタ、タカタカタカタカッタ
22-29小節
時間がないので今日はここまで